藤本能道の色絵磁器は売れるのか ― 鳥の陶筥から鹿児島時代の作まで、価値の見極め方
ご実家の整理で出てきた、鳥の絵の小さな磁器の箱や、草花を描いた花瓶。箱に「藤本能道」の名を見つけたものの、どれほどのものか分からない――そうしたご相談を、当店ではお受けしています。藤本能道(ふじもと よしみち)は、色絵磁器の重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝に認定された陶芸家で、東京藝術大学の学長も務めました。一方で、人間国宝に認定されるまでには四十年あまりの作陶歴があり、時代によって作風も、作品を納めた箱の体裁も大きく異なります。本稿では、当店が実際に拝見した二つの作品のエピソードを交えながら、藤本能道の作品の価値がどこで決まるのかを、古美術商の立場からご案内いたします。
結論から申し上げれば、藤本能道の作品は「いつの時代の作か」「銘・箱書きの裏付けがあるか」「保存状態」の三点で評価が大きく変わります。晩年の鳥を描いた陶筥や陶板は特に知られていますが、人間国宝に認定される前の作品も、見落とさずに拝見することが大切です。とりわけ、箱が簡素だからといって価値がないとは限りません。
この記事でわかること
- 藤本能道とはどんな陶芸家か(富本憲吉に学び、人間国宝・東京藝大学長へ)
- 鹿児島・京都・東京と移った経歴と、時代ごとの作風
- 当店で拝見した二点 ― 鹿児島時代の花瓶と、晩年の四角筥
- 価値を左右する要素と、箱の見方
Career富本憲吉に学び、鹿児島・京都・東京へ ― 藤本能道の歩み
藤本能道は1919年(大正8年)、東京に生まれました。1941年(昭和16年)に東京美術学校工芸科図案部を卒業し、文部省工芸技術講習所に進んで、翌年から加藤土師萌に陶芸を学び始めます。1944年(昭和19年)には東京美術学校の教授であった富本憲吉に師事し、のちにその助手を務めました。富本憲吉は、色絵磁器で最初に人間国宝に認定された陶芸家です。
戦後の1946年(昭和21年)には京都の松風研究所で輸出用陶磁器のデザインに携わり、京都に移った富本から再び指導を受けています。そして1950年(昭和25年)、鹿児島に移り、薩摩焼などの窯業指導にあたりました。人間国宝に認定されるおよそ三十年前のことです。
1956年(昭和31年)には京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)の専任講師となり、前衛的な陶芸を志す走泥社(そうでいしゃ)の同人にも加わりました。1962年(昭和37年)に東京藝術大学の助教授となって東京へ戻り、翌年には制作の方向を改めて走泥社を離れます。その後は日本伝統工芸展を舞台に色絵磁器の制作に打ち込み、1970年(昭和45年)に東京藝術大学教授、1985年(昭和60年)に同学長、1986年(昭和61年)に人間国宝の認定を受けました。
Birds in iro-e鳥を描く色絵磁器と「釉描加彩」
藤本能道の作品でまず思い浮かぶのは、鳥の姿です。枝にとまる小禽、水辺の鳥、群れ飛ぶ鳥などを、写生にもとづく確かな筆で、草花や木の葉とともに白い磁器の上に描きました。1973年(昭和48年)には東京都青梅市に窯を築き、翌1974年(昭和49年)には磁器だけによる初の展覧会「陶板陶筥展」を開いています。陶板(とうばん)や陶筥(とうばこ=陶磁器の蓋付きの箱)は、藤本能道を代表する器形です。
1983年(昭和58年)ごろには、絵具と釉薬を融け合わせて描く独自の技法「釉描加彩(ゆうびょうかさい)」を生み出しました。絵具を釉の上にのせる従来の色絵とは異なり、画面全体が奥行きのある絵画のような表情を見せるのが特徴です。晩年には霜白釉・梅白釉といった釉も用いています。
From our appraisals当店で拝見した二点 ― 鹿児島時代の花瓶と、晩年の四角筥
当店では最近、短い期間のうちに藤本能道の作品を二点続けて拝見する機会がありました。作家の生涯の、ほぼ両端にあたる二点です。
一点目鹿児島時代の作 ― 菜の花図花瓶
鹿児島にゆかりのある、世田谷区内のお宅で拝見した花瓶です。菜の花を描いた一点で、人間国宝に認定されるずっと前、藤本能道が鹿児島で窯業の指導にあたっていた時期の作と考えられるものでした。
印象に残ったのは箱です。後年の作品に見られるような体裁の整った箱ではなく、量産品の器を納めたものと見間違うほど簡素な杉箱でした。箱の外観だけで判断していれば、見過ごしてしまいかねないお品です。箱の蓋裏の書き付けと、作品に記された銘をあわせて確かめることで、藤本能道の作であることを見極めました。
二点目晩年の作 ― 色絵百舌枯葉図 四角筥
同じく世田谷区で拝見した、色絵磁器の四角筥です。白地の蓋に、枯れ枝にとまる百舌(もず)と、赤く色づいた枯葉を描いています。箱には「色絵百舌枯葉図 四角筥」と題が書かれ、藤本能道の代表的な器形である陶筥に、得意とした鳥の絵を組み合わせた、晩秋の静けさが漂うお品でした。
同じ作家の作品でも、制作された時代が違えば、作風も、作品を納める箱のつくりもこれほど異なります。藤本能道のように長い作陶歴をもつ作家ほど、「いつの作か」を見極めることが、評価の出発点になります。
Do not judge by the box箱で判断しない ― 時代によって異なる箱の体裁
共箱(ともばこ)とは、作者自身が箱書きをした、作品専用の箱のことです。真贋や制作時期を判断する有力な手がかりになりますが、その体裁は作家の立場や時代によって変わります。名を成した後の作品は、題名と署名を記した立派な桐箱に納まることが多い一方、若い時期や指導にあたっていた時期の作品は、簡素な箱に納まっていることも珍しくありません。
当店が拝見した鹿児島時代の花瓶のように、箱の表に目立った書き付けがなくても、蓋の裏に書き付けがある場合もあります。箱が古びている、量産品の箱のように見える、という理由で箱を処分してしまうと、作品の来歴を示す大切な手がかりが失われてしまいます。作品と箱は、必ずそろえたままお持ちください。
Five factors価値を左右する、五つの要素
藤本能道の作品を拝見する際、当店では次のような点を総合して評価いたします。銘の有無だけでなく、全体の格として捉えることが大切です。
- 制作時期
- 鹿児島・京都時代、東京藝大時代、人間国宝認定後など、いつの作かを作風や箱から見極める。
- 銘・箱書き
- 作品の銘、箱の蓋表・蓋裏の書き付け(作家自身の筆か)。簡素な箱でも蓋裏に書き付けがある場合がある。
- 技法・意匠
- 色絵・釉描加彩などの技法と、鳥や草花の図柄の出来映え。時代ごとの作風との整合性。
- 器種
- 陶筥・陶板・花瓶・皿・鉢など。陶筥や陶板は藤本能道を代表する器形。
- 状態・付属
- 欠け・傷・絵具の剥落、修理の有無。共箱・栞(しおり)などの付属品の有無。
当店では、作家の経歴と時代ごとの作風を踏まえて一点ずつ拝見し、銘や箱の有無だけでなく、その時期らしい出来映えかどうかを含めて総合的に評価いたします。ほかの人間国宝の作品とあわせたご相談は、人間国宝の作品買取のページもご覧ください。
Where to sellなぜ、売る先で評価が変わるのか
同じ一点でも、作家の経歴や時代ごとの作風に通じた店と、箱の体裁や銘だけを手掛かりに値踏みする店とでは、ご提示できる評価に差が生じます。とくに人間国宝に認定される前の作品は、箱が簡素なことも多く、見極めを誤ると本来の価値を見過ごしてしまいかねません。古美術もりたは、美術館への収蔵・展示協力や、海外オークションハウスとの取引を重ねてきた立場から、藤本能道の作品が本来の価値で次の所蔵者へ渡るよう、丁寧に拝見いたします。ご自身で洗浄したり、箱を処分したりせず、まずは現状のままご相談ください。
藤本能道の作品の売却・査定のご相談
古美術もりたは、人間国宝の作品をはじめ近代の陶芸を、作家の経歴と時代ごとの作風を踏まえて評価いたします。陶筥・陶板・花瓶・皿など、お持ちの品が一つからでも構いません。箱が簡素な品、由来の分からない品でも構いません。まずは一点の状態から丁寧に拝見いたします。お見積り・ご相談は無料、秘密厳守で承ります。
FAQよくある質問
藤本能道の作品かどうか、どうすれば分かりますか?
人間国宝に認定される前の作品にも価値はありますか?
立派な共箱ではなく、簡素な杉箱に入っています。査定できますか?
陶筥(とうばこ)以外の花瓶や皿、陶板なども見てもらえますか?
汚れやほこりが気になりますが、洗ってから査定に出したほうがよいですか?
About / Operator運営者・鑑定者情報
人間国宝の作品の売却は、作家の経歴と時代の見極めが要です。古美術もりたの概要と、取引に関わる許可・登録をご案内いたします。
小田急線「成城学園前駅」より徒歩8分(ご来店は完全予約制)
※ お見積り・ご相談はすべて無料、秘密厳守でお伺いいたします。許可・登録の詳細はご利用案内をご覧ください。
骨董品・美術品の買取・出張査定エリア
人間国宝の作品の買取は人間国宝の作品買取(全国対応)をご覧ください。下記の地域は出張査定でお伺いしております。
参考:菊池寛実記念 智美術館「藤本能道 年譜」、国立新美術館 アートコモンズ「藤本能道」。
※ 年代・経歴は公開されている年譜等に基づくご案内であり、個別の作品の真贋・制作時期・価値を断定するものではありません。個別の作品については、拝見のうえでご提案いたします。