和田和一斎の花籠は何代目か ― 初代・二代・三代の作風と価値の見極め方
籠の底に小さく「和一斎」の署名。けれども、それが何代目の和一斎なのかは書かれていない――。和田和一斎(わだ わいちさい)は、明治の大阪・住吉に工房を構え、三代にわたって花籠を編み続けた籠師の家です。初代は多くの弟子を育てた名工として知られ、その門からは、のちに堺で一家を成す籠師も巣立ちました。本稿では、当店で拝見した二代 和一斎の花籠を手がかりに、歴代の特徴と、何代目の作かを見分ける視点をご案内いたします。
結論から申し上げれば、和田和一斎の籠は「何代目の作か」と「竹の扱い」を見極めることが、評価の出発点です。初代の唐物写しの技、二代の黒竹や煤竹の使い方、三代の端正な造形。代ごとの持ち味を踏まえたうえで、編みの出来、竹の時代色、箱の有無を総合して評価が決まります。
この記事でわかること
- 和田和一斎とはどのような家か、「和一斎」の号の由来
- 初代から三代まで、歴代の和一斎の生没年と特徴
- 当店で拝見した二代 和一斎の花籠
- 何代目の作かを見分ける手がかりと、「竹雲斎」の号との関わり
- 価値を左右する要素と、売却先選びの考え方
About the Wada family和田和一斎とは ― 住吉の籠師と「和一斎」の号
初代 和田和一斎は、1851年(嘉永4年)、大阪に生まれました。籠づくりは父から受け継いだ家の仕事であったと伝わります。明治の大阪では、煎茶の席で中国渡りの唐物籠(からものかご)が珍重され、それを写す「唐物写し」の技が籠師の腕の見せどころでした。初代はその細やかな編みに長け、明治14年(1881年)の内国勧業博覧会で褒賞を受けたとされます。
「和一斎」の号は、明治27年(1894年)、明治天皇の銀婚にあたって住吉の地から籠が献上された折に、近衛家から授かったものと伝わります。「和(日本)で一」を意味する号とも説明され、初代の腕がいかに認められていたかがうかがえます。
初代はそれ以前、「竹雲斎」の号も用いていました。この号は、門下で長く修行した弟子が明治34年(1901年)に独立する際に譲られ、のちの初代 田辺竹雲斎となります。弟子の歩みは田辺竹雲斎の花籃は何代目かで、住吉の和田家と堺の籠師の家どうしのつながりは大阪・堺の竹工芸の系譜でご紹介しています。
Three generations歴代の和一斎 ― 初代から三代まで
歴代の和一斎の生没年と、主な特徴をまとめました。いずれも前の代の子が家を継ぎ、和一斎の名を受け継いでいます。
| 代 | 生没年 | 主な特徴 |
|---|---|---|
| 初代 | 1851〜1901 | 大阪・住吉を拠点に、唐物写しの細やかな花籠を得意とした。多くの弟子を育て、初代 田辺竹雲斎に「竹雲斎」の号を譲る。 |
| 二代 | 1877〜1933 | 初代の子。父の没後、有馬温泉(兵庫県)へ移ったと伝わる。黒竹をいち早く籠に用いた作家の一人とされ、煤竹や竹の根を生かした花籠・煎茶の籠で知られる。 |
| 三代 | 1899〜1975 | 二代の長男。1933年、父の没後に和一斎を継ぐ。戦災で神戸の住まいを失い、のち淡路島へ移ったと伝わる。簡潔な造形に、漆を用いた端正な作も残す。 |
※ 生没年・経歴には資料によって異同がございます(初代の没年を1904年とする資料もあります)。
二代・三代は、大阪の中心を離れて制作し、公の展覧会に多くを出品しなかったとされます。そのため、家の名に比して世に出た作品は多くありません。一方で海外では早くから注目され、2018年には米国の画廊で、初代から三代までの和一斎の作品をまとめて紹介する展覧会も開かれています。
Our piece当店で拝見した、二代 和一斎の花籠
当店でお取り扱いしたのは、二代 和田和一斎の花籠です。細いひごで目を透かしながら丸く編み上げた胴に、二本の手を高く渡しています。透かしの目が整い、胴の丸みに無理がなく、手の付け根の納まりもきれいな、品のよい一点でした。箱は伝わっていませんでしたが、籠そのものの作行きから、二代の作と拝見しています。
この花籠は、6人の作家による竹籠8点をまとめてお譲りいただいた際の一点です。同じお宅には、初代 和一斎の弟子にあたる初代 田辺竹雲斎の籠も伝わっていました。師の家の二代と、弟子の家の初代が、一軒のお宅で並んでいたことになります。その経緯は、一軒に集まっていた6作家・8点の竹籠のお話でご紹介しています。
Telling the generations apart何代目かを見分ける、四つの手がかり
和一斎の籠は、署名や箱書に「和一斎」とだけ記され、何代目とは書かれていないことがほとんどです。当店では、次の四つをあわせて拝見し、何代目の作かを見極めます。
- 署名と印
- 籠の底や内側の署名、箱の蓋裏の書きぶりと印。代ごとに筆癖や印が異なります。
- 竹の種類
- 二代は黒竹や煤竹、竹の根を好んで用いたとされます。竹の選び方そのものが手がかりになります。
- 作風
- 唐物写しの細やかな編みの初代、素材を生かした二代、簡潔な形に漆などを添えた三代。代ごとの作風との整合性を見ます。
- 箱と竹の時代
- 箱の木の古び、箱書の墨、竹の色の落ち着き方や手擦れ。籠と箱が同じ時代のものかも確かめます。
どれか一つだけで決めることはできません。和一斎の籠は作品の数が限られ、見比べる材料も多くないため、竹工芸を数多く見てきた目で、全体から判断することが大切です。
Five factors価値を左右する、五つの要素
何代目の作かが分かったうえで、当店では次の点を総合して評価いたします。
- 代
- 初代・二代・三代のどの代の作か。明治の初代の作は特に数が少なく、珍重されます。
- 共箱・箱書
- 作者自身が署名した共箱が揃っているか。作品名や来歴の書付があるか。
- 編みと形
- ひごの揃い、透かしの目の均一さ、口や底の始末、手の付け根の納まり。
- 竹の質・状態
- 煤竹・黒竹の色合いと艶、虫食い・割れ・ひごの外れの有無。
- 付属・伝来
- 落し(中の水受けの筒)や栞、旧蔵者の記録などが伝わっているか。
竹籠の種類や素材、ほかの名工の作については、竹籠の買取のページでも詳しくご案内しております。
Where to sellなぜ、売る先で評価が変わるのか
和田和一斎の名は、一般にはあまり知られていません。けれども竹工芸の世界では、大阪の籠師の系譜をたどるうえで欠かせない家であり、海外のコレクターや美術館からも注目されてきました。同じ一点でも、「古い竹の籠」として見る店と、作者と代を見極め、こうした評価を踏まえて見られる店とでは、ご提示できる金額に差が生じます。
古美術もりたは、茶道具・煎茶道具とともに竹籠を見つめ、海外のオークションハウスとの取引を重ねてまいりました。作品にふさわしい評価を率直にお伝えし、無理にお勧めすることはございません。和一斎の籠をお持ちでしたら、竹籠の買取のご案内もあわせてご覧のうえ、まずは現状のままご相談ください。
和田和一斎の花籠の売却・査定のご相談
古美術もりたは、初代から三代まで、和田和一斎の籠を作品の価値に見合って評価いたします。何代目か分からない籠、箱のない籠、署名の読めない古い籠でも構いません。お見積り・ご相談は無料、秘密厳守で承ります。
FAQよくある質問
籠に「和一斎」とだけあり、何代目か分かりません。見てもらえますか?
箱のない和田和一斎の花籠でも、買取してもらえますか?
「竹雲斎」と書かれた古い籠は、和田和一斎と関係がありますか?
古い籠で、ひごの外れや汚れがあります。直してから見せたほうがよいですか?
和田和一斎の花籠の出張査定は、どの地域まで来てもらえますか?
About / Operator運営者・鑑定者情報
竹籠のような竹工芸の査定は、編みと素材への確かな知識と、作者・来歴への敬意が要です。古美術もりたの概要と、取引に関わる許可・登録をご案内いたします。
小田急線「成城学園前駅」より徒歩8分(ご来店は完全予約制)
※ お見積り・ご相談はすべて無料、秘密厳守でお伺いいたします。許可・登録の詳細はご利用案内をご覧ください。
竹籠の買取・出張査定エリア
花籃・竹工芸の買取は竹籠の買取(全国対応)をご覧ください。下記の地域は出張査定でお伺いしております。
参考:田辺竹雲斎 公式サイト「初代田辺竹雲斎」、TAI Modern「Three Generations of Wada Waichisai」(2018年)、Mingei Arts Gallery「Wada Waichisai II」、Eskenazi「Bamboo masterworks from Japan」、蔵門前(Kura Monzen)作品解説。
※ 歴代の生没年・経歴、号の由来は公開されている資料に基づくご案内で、資料によって異同・諸説がございます。個別の作品の代・真贋・価値を断定するものではありません。個別の作品については、拝見のうえでご提案いたします。