高村光雲の木彫・ブロンズは売れるのか ― 近代彫刻の礎を築いた巨匠、真贋の見極めと買取の考え方
上野公園の西郷隆盛像、皇居外苑の楠木正成像——そのどちらも、木彫の原型を手がけたのは高村光雲(たかむらこううん)という一人の彫刻家です。仏師として木彫を学びながら、廃仏毀釈と象牙彫刻の流行という逆風のなかで木彫の道を守り抜き、西洋の写実(写生)を取り入れることで近代日本彫刻の礎を築きました。米原雲海・平櫛田中・山崎朝雲ら多くの弟子を育てた「近代彫刻の父」でもあります。本稿では、高村光雲の生涯と作風、そして木彫・ブロンズいずれの買取・売却をお考えの際にも知っておきたい価値の見極め方を、古美術商の立場からご案内いたします。
この記事でわかること
- 高村光雲とはどのような彫刻家か ― 仏師から近代彫刻の父へ
- 代表作『老猿』『西郷隆盛像』『楠木正成像』に見る、写実と伝統の作風
- 木彫だけでなくブロンズ(銅像)にも光雲の仕事がある理由
- 「光雲原型」の量産ブロンズと、光雲自身の手による作の違い
- 査定額を左右する五つの要素と、高く手放すためのコツ
Why nowなぜ、いま高村光雲が見直されるのか
近代(明治以降)の木彫は、絵画や陶芸に比べて査定の場に持ち込まれる機会が少なく、「価値がわからないまま」眠っていることが少なくありません。とりわけ高村光雲は、教科書にも載る西郷隆盛像・楠木正成像の作者として広く知られる一方、旧家の床の間や蔵に、光雲やその門下——米原雲海・平櫛田中・山崎朝雲ら——の木彫や置物が伝わっている例が今も見つかります。仏師出身であることから、晩年の仏像作も少なくありません。相続や実家の整理をきっかけに手放しを検討される方も増えており、まずは現状のまま、専門の目でご覧いただくことをおすすめいたします。
His life高村光雲とは ― 仏師から、近代彫刻の父へ
光雲は1852年、江戸下谷(現在の東京都台東区)に生まれ、幼名は光蔵。11歳で仏師・高村東雲に弟子入りし、木彫の修業を積みます。1874年、師より「光雲」の号を与えられ、東雲の姉の養子となって高村姓を継ぎました。明治維新後は廃仏毀釈により仏像の仕事が激減し、さらに輸出用の象牙彫刻(牙彫)が流行したことで木彫そのものが衰退の危機を迎えます。困窮のなかでも光雲は木彫にこだわり続け、鉛筆画や西洋の挿絵に見る写実表現を木彫に取り入れる独自の写生法を編み出し、伝統技術を近代へとつなげました。1877年の第一回内国勧業博覧会では、師の代作『白衣観音』を出品して最高賞(龍紋賞)を受賞。1889年に開校した東京美術学校に迎えられ、翌年、彫刻科の教授に就任。以後37年にわたって指導にあたり、米原雲海・平櫛田中・山崎朝雲・後藤貞行ら、近代木彫を担う俊英を数多く輩出しました。1919年には帝国美術院会員となり、晩年は仏師としての原点に戻るように仏像作を多く手がけています。息子には、彫刻家・詩人の高村光太郎、鋳金家の高村豊周がいます。自らの半生を語った『光雲懐古談』(1929年)は、光太郎と編集者・田村松魚の手によってまとめられました。1934年、83歳で没しています。
His style見どころは「写実」と「伝統の継承」― 老猿・西郷隆盛像・楠木正成像
光雲の作風を語るうえで欠かせないのが、代表作『老猿』です。1893年のシカゴ万国博覧会に出品され高い評価を受けたこの木彫は、鷲との死闘を終えた老いた猿の気迫を写実的に彫り上げた畢生の作で、現在は東京国立博物館に収蔵され、1999年に重要文化財の指定を受けています。もう一つの見どころが、公共の銅像として今も親しまれる『西郷隆盛像』(上野公園)と『楠木正成像』(皇居外苑)です。いずれも光雲が制作主任となり、木彫または塑造による原型を手がけ、体部や馬を他の彫刻家が分担し、鋳造師の手で青銅に写されました。西郷隆盛像は1897年に原型が完成し翌年除幕、楠木正成像は1893年に原型が完成し1900年に竣工しています。田中や雲海の世代が石膏原型と星取り法によって木彫に写す技法を広めたのに対し、光雲自身は伝統的な鑿(のみ)による直彫りを基本としながら、そこに写生による写実を融合させた点に特徴があります。仏師としての原点も忘れておらず、晩年には観音像や羅漢像など仏教主題の木彫にも数多く取り組みました。
「高村光雲」の名で流通するブロンズ像には、性格の異なる二つの系統があることも知っておいていただきたい点です。ひとつは、西郷隆盛像・楠木正成像のように光雲自身が原型を手がけ、限られた数だけ鋳造された美術品としての作。もうひとつは、大黒天・恵比寿・老子・達磨などの置物として、光雲の意匠を「原型」に、高岡をはじめとする鋳物産地で今日まで量産され続けている工芸品です。後者は贈答品・縁起物として長く親しまれてきたもので、ご実家や床の間まわりに一体お持ちという方も少なくありません。同じ「光雲」の名を冠していても評価の物差しは異なりますが、鋳造の質や時代によって相応の値がつくこともありますので、量産品かもしれないとためらわず、まずは現物をお見せください。
Five factors査定額を左右する、五つの要素
高村光雲の作は、同じ作家の手になるものでも評価が一様ではありません。当店では、次のような点を総合して拝見しています。
- 真贋・銘
- 光雲の在銘作は必ずしも多くなく、工房作や後年の模作も少なくないため、署名の書体や共箱の記載、鑑定書の有無が評価を大きく左右します。
- 素材・技法
- 木彫そのものか、光雲の原型に基づくブロンズ(鋳造)か。同じブロンズでも、光雲自身が原型を手がけた一点物か、意匠を借りて量産された工芸品かで評価は異なります。
- 題材・図柄
- 動物題材や人物像、仏像など、光雲芸術を象徴する画題は評価されやすい傾向にあります。
- 時代
- 木彫家として確立した明治期から大正期にかけての作は特に重んじられます。
- 状態・付属
- 破損や割れの少ない良好な作、共箱・識箱などの付属が揃う作ほど高評価です。
なかでもブロンズ像においては、光雲自身が原型を手がけた一点物か、意匠を借りて量産された「型物」かが、価格を分ける最大の分かれ目になります。西郷隆盛像・楠木正成像のような公共の銅像はもちろん、胸像や小品であっても、光雲本人が制作に関わった原型からの鋳造であれば美術品としての評価となりますが、「光雲原型」を謳って高岡などの鋳物産地で量産された置物は、贈答用の工芸品としての評価が中心となり、木彫の在銘作とは評価の水準そのものが異なります。ブロンズのお品をお持ちの場合は、まずこの違いを念頭に置いたうえで、現物を拝見させてください。
手放しをお考えの際は、無理に磨いたり接着したりせず現状のままお持ちいただき、共箱の署名や落款を撮った写真、購入時の資料や来歴をあわせてお見せいただくと、より正確な査定につながります。ご自身で価値を判断するのが難しいお品も、無理にお勧めすることはございませんので、まずは率直な評価をお伝えいたします。
Where to sellなぜ、売る先で評価が変わるのか
高村光雲には、米原雲海・平櫛田中・山崎朝雲・後藤貞行など多くの門下がおり、工房作や後世の写しも少なくありません。真贋や時代の見極めには、近代彫刻に通じた専門の目が欠かせず、一般の骨董店で「よくわからないもの」として値がつかないまま扱われてしまうことも起こり得ます。古美術もりたは、美術館への収蔵・展示協力や海外オークションハウスとの取引を重ねてきた古美術商として、高村光雲をはじめとする近代木彫を数多く拝見してまいりました。作品の真価を見極め、ふさわしい評価とともに次の所蔵者へお繋ぎすることが、当店の役目と考えております。高村光雲の買取について、詳しくは当店の高村光雲買取ページでもご案内しております。ブロンズ像や、米原雲海・平櫛田中ら門流の作、仏像・能面・根付など木彫り・彫刻の買取も承っております。
高村光雲の売却・査定のご相談
古美術もりたは、近代木彫・彫刻を専門のひとつとし、高村光雲の木彫の仏像・置物や、原型に連なるブロンズまで、作品の価値に見合って評価いたします。共箱や鑑定書のないお品でも構いません。まずは一点の状態から丁寧に拝見いたします。お見積り・ご相談は無料、秘密厳守で承ります。
FAQよくある質問
銘や共箱がなくても、高村光雲の作として査定してもらえますか?
ブロンズ像(銅像)も高村光雲の作品として買取できますか?
実家にある「高村光雲原型」と書かれた置物は、量産品でしょうか?
高村光雲の弟子(米原雲海・平櫛田中・山崎朝雲など)の作でも買取できますか?
晩年に手がけた仏像も買取の対象になりますか?
高村光雲の作品は、どこに売るのがよいですか?
About / Operator運営者・鑑定者情報
近代彫刻の売却は、確かな知識と真贋を見極める目が要です。古美術もりたの概要と、取引に関わる許可・登録をご案内いたします。
小田急線「成城学園前駅」より徒歩8分(ご来店は完全予約制)
※ お見積り・ご相談はすべて無料、秘密厳守でお伺いいたします。許可・登録の詳細はご利用案内をご覧ください。
※ 高村光雲の年譜・逸話には諸説あり、本記事は公開されている資料をもとにまとめています。真贋・時代・価値は、お品の状態や来歴によって異なります。本記事は一般的なご案内であり、個別の作品については拝見のうえでご提案いたします。