平櫛田中の木彫は売れるのか ― 近代木彫の巨匠、真贋の見極めと買取の考え方
床の間や蔵に伝わる木彫の人物像、彩色の大黒天や恵比寿の置物——それが平櫛田中(ひらくしでんちゅう)の作であれば、「古い木の彫り物」という枠を超えて、近代日本を代表する美術品としての価値をもつことがあります。人形師に木彫を学び、高村光雲に師事し、岡倉天心を心の師と仰いだ田中は、百七歳まで鑿をとり続け、文化勲章を受章した近代木彫の巨匠です。本稿では、平櫛田中の生涯と作風、そして売却・買取をお考えの際に知っておきたい価値の見極め方を、古美術商の立場からご案内いたします。
この記事でわかること
- 平櫛田中とはどのような彫刻家か ― 光雲・天心とのつながり
- 代表作『鏡獅子』に見る、写実と精神性の作風
- 大黒天・恵比寿などの福神像にも価値がある理由
- 査定額を左右する五つの要素と、高く手放すためのコツ
Why nowなぜ、いま平櫛田中の木彫が見直されるのか
近代(明治以降)の彫刻は、絵画や陶芸に比べて査定の場に持ち込まれる機会が少なく、「価値がわからないまま」眠っていることが少なくありません。とりわけ平櫛田中は、文化勲章を受章し美術館にも多くの作が収蔵される一方、旧家の床の間や蔵に、共箱付きの木彫や福神像が伝わっている例が今も見つかります。高村光雲・米原雲海ら同時代の彫刻家の作とあわせて一括で伝わっているケースも多く、蔵じまいや実家の整理、生前整理をきっかけに手放しを検討される方も増えています。「ただの古い置物だろう」と思われていたお品に、実は高い価値が残っていることも珍しくありません。まずは現状のまま、専門の目でご覧いただくことをおすすめいたします。
His life平櫛田中とは ― 光雲に学び、天心に導かれた生涯
田中は1872年、岡山県井原市の田中家に生まれ、本名は倬太郎(たくたろう)。少年期に平櫛家の養子となりましたが、後年、生家の姓「田中」を号として名乗りました。大阪の人形師・中谷省古のもとで木彫の修業を積んだのち上京し、高村光雲の門下に入ります。転機となったのが、思想家・岡倉天心との出会いです。1908年、天心の指導のもと山崎朝雲・米原雲海らと日本彫刻会を結成し、出品作『活人箭』が天心に高く評価されました。以来、田中は終生、天心を心の師と仰ぎ続けます。1913年に天心が没した後は日本美術院の再興に参加、彫刻部の同人として活躍。1937年には帝国芸術院会員、1944年には帝室技芸員、東京美術学校(後の東京藝大)教授を務め、1962年、文化勲章を受章しました。受章会見での「貰うのは棺桶に入ってからだと思っていました」という言葉は、田中の飄々とした人柄を伝える逸話として知られます。100歳を超えてなお30年分の材木を買い込んだという逸話も残るとおり、1979年、107歳で没するまで、当時の男性長寿日本一として生涯現役を貫きました。「いまやらねば いつできる、わしがやらねば たれがやる」という言葉は、その生き方そのものです。
His style見どころは「写実」と「精神性」― 鏡獅子・大黒天・仏教主題
田中の作風を語るうえで欠かせないのが、代表作『鏡獅子』です。歌舞伎の名優・六代目尾上菊五郎をモデルに、1936年頃に着手し、戦中の中断を経て1958年、実に20年余りをかけて完成させた彩色木彫の大作で、現在は東京国立近代美術館に収蔵され、国立劇場ロビーでも親しまれています。完成までの間、田中は歌舞伎座に幾度も通い、菊五郎の一挙一動を観察し続けたと伝わります。もう一つの見どころが、大黒天・恵比寿などの彩色の福神像です。古法に倣った寄木造・極彩色による福々しい表情と丁寧な仕上げは市場でも人気が高く、共箱付きの作は特に評価されます。さらに、井原地方の伝承に取材した『転生』、代表的な文人像『烏有先生』、禅僧・西山禾山や天心の影響を受けた『五浦釣人』『尋牛』など、仏教説話や故事に想を得た精神性の高い作も、田中芸術のもう一つの柱です。木彫だけでなく、塑造から起こしたブロンズや、能書家としての書も遺しています。
田中の代表作の多くは、粘土で原型をつくって石膏に写し取ったうえで、専用の器具(星取り機)を用いて木材へ転写する「星取り法」によって生み出されています。古代ギリシャ・ローマに起源をもつこの西欧由来の技法は、江戸期までの直彫りとは異なる制作工程ですが、日本の木彫に最初に応用したのは田中の兄弟子・米原雲海と伝わります。田中自身も1901年の出品作『唱歌君ヶ代』で早くからこの技法を取り入れ、のちに東京美術学校教授として後進にも広めました。写実的で複雑な人物像を木彫で実現できた背景には、こうした近代的な制作技法の導入があったのです。
田中はまた、油土や粘土で原型をつくって石膏に写し、「星取り機」と呼ばれる特製のコンパスで寸法を測りながら木材に転写する「星取り法」を、早い時期から作品に取り入れたことでも知られます。星取り法自体は西欧に由来し、さらに遡れば古代ギリシャ・ローマの大理石彫刻に起源をもつ模刻技法で、日本の木彫には兄弟子・米原雲海が初めて応用したと伝わります。田中は東京美術学校の教授となってからこの技法を後進に広め、江戸期までの「直彫り」が中心だった木彫の制作工程を大きく変えました。田中の作の写実性の高さは、こうした新しい技法の導入とも切り離せません。
Five factors査定額を左右する、五つの要素
平櫛田中の作は、同じ作家の手になるものでも評価が一様ではありません。当店では、次のような点を総合して拝見しています。
- 真贋・極め
- 共箱に記された自筆の署名・落款や、鑑定書の有無は評価を大きく左右します。
- 素材・技法
- 木彫か鋳造(ブロンズ)か。彩色の有無や彫りの精度。
- 題材・図柄
- 人物像や大黒天・恵比寿などの福神像は人気が高い傾向にあります。
- 時代
- 田中芸術の確立期にあたる戦前(明治・大正・昭和初期)の作は特に重んじられます。
- 状態・付属
- 破損や割れの少ない良好な作、共箱・図録などの付属が揃う作ほど高評価です。
手放しをお考えの際は、無理に磨いたり接着したりせず現状のままお持ちいただき、共箱の署名や落款を撮った写真、購入時の資料や来歴をあわせてお見せいただくと、より正確な査定につながります。ご自身で価値を判断するのが難しいお品も、無理にお勧めすることはございませんので、まずは率直な評価をお伝えいたします。
Where to sellなぜ、売る先で評価が変わるのか
平櫛田中には、高村光雲門下や後年の彩色を受け継いだ門流も多く、共箱や銘だけでは判断のつかない作、後世の写しも少なくありません。真贋や時代の見極めには、近代彫刻に通じた専門の目が欠かせず、一般の骨董店で「よくわからないもの」として値がつかないまま扱われてしまうことも起こり得ます。古美術もりたは、美術館への収蔵・展示協力や海外オークションハウスとの取引を重ねてきた古美術商として、平櫛田中をはじめとする近代木彫を数多く拝見してまいりました。作品の真価を見極め、ふさわしい評価とともに次の所蔵者へお繋ぎすることが、当店の役目と考えております。平櫛田中の買取について、詳しくは当店の平櫛田中買取ページでもご案内しております。高村光雲・米原雲海・平野富山ら門流の作や、仏像・能面・根付など木彫り・彫刻の買取も承っております。
平櫛田中の売却・査定のご相談
古美術もりたは、近代木彫・彫刻を専門のひとつとし、平櫛田中の木彫・彩色の人物像や大黒天・恵比寿の置物、ブロンズ、書まで、作品の価値に見合って評価いたします。共箱や鑑定書のないお品でも構いません。まずは一点の状態から丁寧に拝見いたします。お見積り・ご相談は無料、秘密厳守で承ります。
FAQよくある質問
共箱や落款のない木彫でも、平櫛田中の作として査定してもらえますか?
大黒天や恵比寿の置物も、平櫛田中の作品として価値がありますか?
高村光雲や米原雲海など、田中の師や兄弟子の作でも買取できますか?
門下の作や後年の写しかもしれず、真贋の判断ができません。
平櫛田中の作品は、どこに売るのがよいですか?
About / Operator運営者・鑑定者情報
近代彫刻の売却は、確かな知識と真贋を見極める目が要です。古美術もりたの概要と、取引に関わる許可・登録をご案内いたします。
小田急線「成城学園前駅」より徒歩8分(ご来店は完全予約制)
※ お見積り・ご相談はすべて無料、秘密厳守でお伺いいたします。許可・登録の詳細はご利用案内をご覧ください。
※ 平櫛田中の年譜・逸話には諸説あり、本記事は公開されている資料をもとにまとめています。真贋・時代・価値は、お品の状態や来歴によって異なります。本記事は一般的なご案内であり、個別の作品については拝見のうえでご提案いたします。