板画とは — 版画とのちがい
棟方志功は、自身の版画作品を「板画(はんが)」と呼びました。同じ発音でありながら、「版画」がひろく複製の技術を意味するのに対し、「板画」は板そのものの生命を彫り出すことを目指した、棟方独自の呼称です。棟方は「板が私に彫らせている」という言葉を残しています。彫り手と板とを対等に捉えるその姿勢は、道具と使い手が響き合う民藝の精神とも通じるものでした。
「板画」「板業」「板宇宙」——棟方独自の用語群
棟方は、板画・板業・板宇宙といった独自の言葉を紡ぎ出しました。「板業(はんぎょう)」とは板を彫る営みそのものを、「板宇宙(はんうちゅう)」とは彫られた画面に開ける宇宙的な世界観を指す言葉です。大和し美し・華厳譜・二菩薩釈迦十大弟子——巨大な連作板画のなかで、棟方はこの板宇宙を現前させようとしました。
木口木版と板目木版 — 棟方の主たる技法
木版の技法には、木の断面(木口)に彫る木口木版と、木の側面(板目)に彫る板目木版があります。棟方が主に用いたのは板目木版で、板の木目や節を「景色」として活かします。桜・朴(ほお)・シナ・カツラなどの板が使われました。同じ図像の板画でも一枚ごとに刷りの表情がちがうのは、この板目のもつ個性が現れるためです。
棟方志功の生涯と時代背景
青森時代(1903–1924)— 鍛冶屋の子として
棟方志功は1903年(明治36年)、青森市の鍛冶屋の子として生まれました。少年時代から絵を描くことが好きで、地元の川村文華堂で職人として働きながら独学で絵を学びました。眼を病んで極度の近視となり、板や紙に顔を極端に近づけて彫る、あの独特の姿勢はこの時期に形づくられたといわれます。
上京と洋画への挑戦(1924–1928)— ゴッホとの出会い
1924年に上京し、油絵の帝展入選を目指しました。ある日、洋画雑誌に掲載されたゴッホの《ひまわり》のカラー図版に強い衝撃を受け、「わだばゴッホになる」——青森弁で「俺はゴッホになる」——と決意します。この言葉は棟方の生涯を象徴する宣言となりました。
版画への転向(1928–)— 平塚運一・恩地孝四郎の影響
油絵での評価がなかなか得られないなか、棟方は平塚運一や恩地孝四郎の影響で版画に転じます。1928年に版画作品を帝展に初入選、以後は板画の道に専心しました。板の生命を活かす棟方独自の思想が芽生えていきます。
民藝運動との合流(1936–)— 柳宗悦との出会い
1936年、棟方の《大和し美し》を見た柳宗悦が「これは日本の宝だ」と絶賛。柳の紹介で濱田庄司・河井寛次郎・芹沢銈介らの民藝運動と合流します。この出会いは棟方の芸術を思想的に深く支えるものとなりました。棟方の板画は民藝の美学と響き合い、独自の完成度を得ていきます。
富山疎開時代(1945–1954)— 華厳譜と二菩薩釈迦十大弟子
戦時中は富山県福光町に疎開。この時期に代表作となる《華厳譜》《二菩薩釈迦十大弟子》を制作しました。仏教的世界観と板画の結びつきが最も強く現れる時期です。福光時代は棟方の板画の一つの頂点として、後年しばしば回顧されました。
国際的評価(1955–1956)— サンパウロとヴェネチア
1955年、サンパウロ・ビエンナーレ版画部門最高賞を受賞。翌1956年にはヴェネチア・ビエンナーレ国際版画大賞を獲得しました。日本の版画作家として初めての国際的栄誉であり、棟方の板画は世界に向けて位置づけられました。
晩年と文化勲章(1970)
1970年、文化勲章を受章。1975年、東京で72年の生涯を閉じました。生涯にわたって描き続けた仏教的主題、女人像、日本の詩情——それらは今も棟方志功記念館や日本民藝館で見ることができます。
板画を構成するもの — 素材
棟方の板画は、素材の選び方から棟方らしさが現れます。板・紙・墨・顔料・道具——それぞれに棟方の目利きが働いています。
板木(はんぎ) — 桜・朴・シナ・カツラ
棟方が用いた板は主に桜(さくら)や朴(ほお)、シナ、カツラなど。桜は堅くて彫りに適し、細かい線が立ちやすい木。朴やシナは柔らかく、大胆な彫りに向いています。棟方はこれらを板目でつかい、木目・節・板の癖を「景色」として意図的に画面に取り込みました。同じ図像でも、板が変われば表情が変わります。
和紙 — 越前和紙・雁皮紙・楮紙
刷りに用いる紙は、越前の雁皮紙(がんぴし)や楮紙(こうぞがみ)など、日本の伝統的な和紙が中心でした。薄手で強靭、墨や顔料が均等に載る紙が選ばれます。裏彩色を行うためには、裏面から色が透けて見える薄手の紙が必要でした。
墨と顔料 — 墨摺と色摺
棟方の板画は基本的に墨摺(すみずり)——黒の輪郭と面——から成りますが、そこに色摺を重ね、さらに裏彩色で深みを与えます。色は青・朱・黄・緑などが多く、赤ちゃんの頬紅を思わせる淡い朱がしばしば用いられました。顔料は伝統的な岩絵具や染料が用いられ、時代や作品によって色調は微妙に異なります。
摺りの道具 — バレン・刷毛・馬毛
板画の刷りにはバレン(円盤状の摺り道具)が用いられ、竹皮の内側に馬毛や糸を巻いたものです。バレンの押し方一つで刷り上がりが変わるため、棟方は自ら摺ることもあり、また熟練の摺り師と共同することもありました。
棟方作品のジャンル — 種類と用途
棟方志功の作品は板画(版画)だけではありません。倭画・書・油絵・陶画皿・襖絵まで、幅広い分野に及びます。それぞれに棟方らしさが現れる、多彩な作品世界です。
板画(版画)
最も市場に多く伝わる、棟方の代表的な作品群。連作から一枚物まで、様々な形で残されています。額装・軸装・屏風装のものがあります。
倭画(やまとが)
棟方が肉筆着彩の日本画に付けた独自の呼称。板画とは別の系譜で、一点物であるため板画より希少です。絹本や紙本に描かれます。
書
棟方独特の墨書。屏風・軸装・扁額・色紙・短冊など様々な形で残ります。「わだばゴッホになる」など、棟方の言葉そのものが書かれることもあります。
油絵
初期の作品に見られる、極めて希少な分野。ゴッホに触発された時期の油絵は、市場では数少ないお品です。
陶画皿
民藝運動の中で、河井寛次郎・濱田庄司らとの交流の中で制作された陶芸作品。皿の裏に棟方の落款があります。
襖絵・障壁画
寺社・料亭・個人邸などに残る大作。倭画・板画の技法を襖や屏風に応用した、棟方の建築空間への働きかけを示す作品群です。
板画の技法 — 板取りから裏彩色まで
板取り — 木目を活かす
棟方は、まず板の吟味から始めました。板目の流れ、節の位置、板の癖を見極めて、どこにどの図像を配するかを構想します。この段階で作品の骨格の多くが決まります。木目が画面のリズムを作り、節が意図せぬ景色を生む——棟方はそれを歓迎しました。
一気呵成の彫り — 下絵を細かく作らない
棟方の彫りは、多くの版画家と異なり、細密な下絵を作らないのが特徴です。頭のなかにある構想を、直接板に彫り込んでいく——板を彫るというよりも、板と対話しながら形を引き出していく。この一気呵成の彫りが、棟方の板画に独特の生命感を与えました。目を極端に近づけた彫りの姿は、有名なドキュメンタリーにも記録されています。
裏彩色(うらざいしき) — 独自の彩色技法
棟方の板画の色は、裏彩色という独自の技法で作られます。刷り上がった板画の裏側から色を付けるため、正面から見る色が紙を透過して柔らかく発色します。表からの色摺と、裏彩色の重なり——これによって棟方の板画は、単純な木版画とは一線を画す色の深みを持ちます。
色摺の重ね方
色は一色ずつ、別の色板を使って摺り重ねられます。棟方の色摺は色数を絞り、余白や板目の景色を活かすのが特徴です。淡い朱・青・黄・緑が主に使われ、それらが墨摺の輪郭と響き合います。
印章・落款の位置と読み方
棟方の板画には、通常朱の印章と署名(落款)が入ります。「志功」または「棟方志功」の署名、朱の角印・円印などです。裏面には多くの場合、エディション番号と制作年が鉛筆で記されます。番号は「摺り番号/総摺り数」の形が一般的です。額装のまま、これらの記載を確認するのは難しい場合があります。
名工たち — 棟方志功と同時代人
棟方志功の板画は、彼一人の力で成立したのではありません。民藝運動を築いた思想家・工芸家たち、そして版画・創作版画運動を牽引した先達たち——彼らとの出会いと交流が、棟方の芸術を深く支えました。
柳宗悦(やなぎ むねよし、1889–1961) 民藝運動の創始者
思想家・宗教哲学者。1926年に「日本民藝美術館設立趣意書」を発表し、生活工芸のなかに美を見出す民藝運動を提唱。1936年に棟方の《大和し美し》を見て「これは日本の宝だ」と絶賛し、棟方の生涯を通じた最大の理解者となりました。柳が創設した日本民藝館(東京・駒場)には、棟方の板画が常設収蔵されています。
濱田庄司(はまだ しょうじ、1894–1978) 陶芸家・民藝運動
益子焼を代表する陶芸家、1955年第一回人間国宝指定。バーナード・リーチとともにイギリスに渡り、日英の陶芸交流の礎を築きました。柳宗悦とともに民藝運動を推進した中心人物であり、棟方志功とも生涯にわたる盟友でした。
河井寛次郎(かわい かんじろう、1890–1966) 陶芸家・民藝運動
京都・五条坂に窯を築いた陶芸家。芸術院会員・人間国宝を辞退したことでも知られる、真の求道者。棟方が陶画皿を制作したのは、河井との交流のなかから生まれたものでした。京都の「河井寛次郎記念館」は、二人の交流の跡を今に伝えます。
芹沢銈介(せりざわ けいすけ、1895–1984) 染色家・民藝運動
型染の重要無形文化財保持者(人間国宝)。柳宗悦の民藝思想に共鳴し、独自の型絵染を確立。棟方の板画と芹沢の型絵染は、大胆な線と余白の使い方で通じるものがあります。静岡市立芹沢銈介美術館・日本民藝館などで作品を見ることができます。
平塚運一(ひらつか うんいち、1895–1997) 版画家・棟方の版画の師
木版画の作家、恩地孝四郎とともに創作版画運動を推進。棟方が版画に転じる際に大きな影響を与えた、実質的な師にあたる人物です。長寿を全うし101歳まで作品を制作しました。棟方志功記念館・日本民藝館・青森県立美術館などで作品を鑑賞できます。
恩地孝四郎(おんち こうしろう、1891–1955) 版画家・創作版画運動
日本の抽象木版画の先駆者。平塚運一とともに創作版画運動を牽引し、棟方に版画の可能性を示しました。抒情的な画風で知られ、詩人でもありました。棟方は恩地の影響を若い時期に強く受けており、その創作に感謝の言葉を残しています。
バーナード・リーチ(Bernard Leach、1887–1979) 陶芸家・民藝の国際的媒介者
イギリス・セント・アイヴスに窯を築いた陶芸家。柳宗悦・濱田庄司との交流を通じて、東洋と西洋の民藝的美意識を橋渡ししました。棟方の板画も、リーチを介して欧米で広く知られるようになった側面があります。
海外での棟方志功 — サンパウロ、ヴェネチア、そして世界へ
1955年 サンパウロ・ビエンナーレ版画部門最高賞
戦後日本の芸術が世界の舞台へ復帰していく1950年代、棟方の板画は1955年サンパウロ・ビエンナーレで版画部門最高賞を受賞します。日本の版画作家として初めての国際的な栄誉でした。展示された《釈迦十大弟子》を中心とする板画群は、その独自の芸術性で世界の関心を集めました。
1956年 ヴェネチア・ビエンナーレ国際版画大賞
翌1956年、ヴェネチア・ビエンナーレで国際版画大賞(Gran Premio)を獲得。二年連続の国際的栄誉は、棟方の板画が日本の民藝的芸術の粋であるだけでなく、20世紀の世界美術の一翼を担うものであることを示しました。
海外オークション動向
今日、棟方の板画はニューヨーク・ロンドン・パリなどのクリスティーズ・サザビーズで継続的に取引されています。海外での評価は近年さらに高まっており、代表作の連作や状態の良い一枚物は、日本国内以上の落札価格を記録することもあります。
海外美術館のコレクション
棟方の板画は、世界の主要美術館に収蔵されています。ニューヨークのメトロポリタン美術館、ロンドンの大英博物館、パリのギメ美術館、ボストン美術館、シカゴ美術館など。日本国外に棟方の板画がこれほど多く伝わるのは、彼の国際的評価の証といえます。
法令・鑑定 — 本物と複製の見分け方
一般社団法人棟方志功鑑定委員会
棟方志功作品の真贋鑑定は、一般社団法人棟方志功鑑定委員会が公式に行っています。鑑定書は所定の申請と実地審査を経て発行されるもので、板画・倭画・書などジャンルごとに鑑定基準があります。ただし、鑑定書は必ずしも全作品に付いているわけではなく、旧蔵の棟方作品には鑑定を経ていないお品も多く含まれます。
鑑定書の見方
鑑定書には、作品の題名・寸法・技法・制作年・エディション(板画の場合)・所見が記載されます。作品と別に保管される「鑑定書」と、作品自体に貼付される「鑑定シール」の両方が発行されるのが一般的です。鑑定書の記載と作品の実測が一致すること、鑑定書のシリアル番号と印章が正しいことなどが本物の鑑定書の判別ポイントです。
贋作・複製画の問題
棟方志功は昭和期の代表作家であるがゆえに、複製の版画・複製の板画が数多く出回っています。主に問題となるのは以下のパターンです。
- オフセット複製:写真製版によって印刷された複製画。近づいて見ると細かい点の集まりが確認できます。
- リトグラフ複製:石版画の技法を使った複製。オリジナルの板画とはまったく別のもの。
- 写真製版:原画を写真で撮って版を作り、印刷したもの。「棟方志功」の署名が印刷されていることも多く注意が必要です。
これらの複製は、額装から外して光にかざすと紙の裏に色が透けていない(=裏彩色がない)ことで判別できることが多いです。板画本物は、板の生命を活かすために裏彩色が施され、紙質・刷りの深さも複製とは異なります。
板画本物のサイン・落款・エディション表記の特徴
棟方の板画本物のサインは、通常鉛筆で「志功」または「棟方志功」と記されます。朱印の位置と種類、エディション番号の書き方(「摺り番号/総摺り数」の形式)、制作年の記載、これらすべてが総合的に真贋の手がかりとなります。摺り師の記録が残るお品もあり、鳩居堂・棟方志功板画館などが出版元となった板画には、その旨が明記されているものがあります。
収蔵美術館 — 棟方作品はどこで見られるか
棟方志功の作品は、日本国内の主要美術館に幅広く収蔵されています。実物を見ることは、棟方の板画の魅力を最も直接的に体験する方法です。
棟方志功記念館(青森市)
棟方の生地・青森市にある記念館。1975年、棟方の遺族と青森県の協力で設立。板画・倭画・書・所蔵の民藝品まで、棟方の芸術世界を体系的に見ることができます。
日本民藝館(東京・目黒区駒場4-3-33)
柳宗悦が創設した民藝運動の中心的美術館。棟方の板画が常設収蔵されており、民藝運動と棟方志功の関係を実感できる場所です。
青森県立美術館
青森県の県立美術館。棟方の代表作を含む主要作品を収蔵。青森ゆかりの芸術家を体系的に紹介する常設展示があります。
富山県美術館
棟方が疎開した福光町のある富山県。福光時代の代表作を中心に、棟方の板画を多数収蔵しています。
鎌倉近代美術館
戦後日本美術の重要な作家を体系的に紹介してきた美術館。棟方志功の板画も継続的に紹介されています。
主要な回顧展
棟方志功没後、青森・東京・国立近代美術館などで大回顧展が繰り返し開催されてきました。近年は生誕120年(2023年)を機に、全国的な再評価の動きが見られます。
取扱と保存 — 棟方作品を大切に持つには
棟方志功の板画は、和紙に墨と顔料で刷られ、裏彩色が施された繊細なお品です。保存の環境によって、色の状態も紙の状態も大きく変わります。長く大切に持つためのポイントをまとめます。
板画の保存 — 光・湿気・温度
板画の最大の敵は紫外線です。直射日光はもちろん、室内の蛍光灯・LED光にも紫外線が含まれます。長時間の展示は色摺の退色を招きます。飾る際は紫外線カットガラスの額装が推奨されます。
湿気にも注意が必要です。梅雨の高湿は紙にシミ(フォクシング)を生む原因になります。湿度は50%前後を目安に、風通しの良い場所での保管が理想です。極端に乾燥した場所(暖房の直下など)も、紙の反りや割れを招きます。
額装のポイント
棟方の板画を額装する際は、紫外線カットガラスと中性紙のマットを用いることが大切です。安価な酸性紙のマットは、時間とともに紙にダメージを与えます。額装が古く、酸性紙のマットが使われている場合は、状態の良い時期に一度専門家に相談することをお勧めします。
シミ・退色が起きた場合
フォクシング(点状のシミ)、色摺の退色、紙の焼け——これらが起きた場合、ご自宅で洗浄したり修復することはお勧めしません。かえって作品を傷めることが多いためです。専門の紙本修復家に相談するのが安全です。買取査定の際は、状態の良し悪しは価格に反映されますが、お手入れが必要と思われるお品も現状のまま拝見いたします。
保管時の温湿度と保管場所
額装から外して保管する場合は、酸性紙を避けた中性紙のフォルダーに入れ、湿度の管理された場所(桐箱・紙箱に入れて押入れの上段など)に保管します。長期の保管では、時折状態を確認することが望ましく、数年に一度は開けて風を通す(陰干し)ことが推奨されます。
修復家への相談時期
次のような状態が見られた場合は、専門の紙本修復家への相談をお勧めします:目に見えるカビ・虫損の進行、紙の破れや折れが広がりつつある、色摺の剥落、フォクシングの急激な拡大。相談の判断に迷う際は、当店にお問い合わせいただければ、信頼できる紙本修復家をご紹介できます。


