「端渓より上」とも評された硯― 歙州硯(龍尾硯)は売れるのか、金星・眉子・羅紋の価値と買取の見極め方
書斎の奥から出てきた、青黒い石の硯。よく見ると、金の粒が星のように散っている。あるいは、眉のような細い黒い筋が、幾重にも走っている――。「唐硯(とうけん)といえば端渓(たんけい)」と思われがちですが、その硯は、端渓と並び称され、ときに「端渓より上」とさえ評された名硯、歙州硯(きゅうじゅうけん)かもしれません。本稿では、歙州硯とはどのような硯か、端渓硯とどう違うのか、そして売却をお考えの際に知っておきたい価値の見極め方を、古美術商の立場からご案内いたします。
結論から申し上げれば、歙州硯の価値は「どの坑の、どんな石紋の石で、いつの時代に作られたか」で大きく変わります。金星・眉子・羅紋といった石紋の美しさ、名坑の石であること、宋・明にさかのぼる古硯であること、そして来歴が重なるほど評価は高まります。一方で、近年に量産された練習用・土産物の歙州硯は値がつきにくいのも事実です。古美術もりたは、中国美術を専門のひとつとし、海外のコレクター・オークションハウスとのネットワークをもつ古美術商として、その違いを率直にお伝えし、作品にふさわしい評価をご提案いたします。
この記事でわかること
- 歙州硯(歙硯・龍尾硯)とは何か、なぜ名硯とされるのか
- 南唐の李後主が「天下の冠」とした、龍尾硯の歴史
- 端渓硯との違いと、見分けの手がかり
- 金星・金暈・眉子・羅紋・魚子 ― 石紋の見どころ
- 名坑(眉子坑・羅紋坑・金星坑・水舷坑)と「旧坑」の意味
- 価値を左右する五つの要素と、値がつきにくい品の線引き
- 売却先で評価が変わる理由
What is She inkstone歙州硯とは ― 端渓と並ぶ、もうひとつの名硯
歙州硯は、その名のとおり、かつての歙州で産した石の硯です。歙州は北宋の末に徽州と改められた地で、墨の名産「徽墨(きぼく)」を生んだ土地でもあります。硯と墨の名品が同じ地域から生まれたことは、この一帯が中国文房の一大産地であったことを物語っています。
産地は黄山山脈の南麓を中心にいくつもの県にまたがりますが、古来最上とされてきたのは、婺源と休寧の境に近い龍尾山のふもと、芙蓉渓(ふようけい)と呼ばれる渓流沿いの石です。そのため、良質な歙州硯は産地の名をとって「龍尾硯」とも呼ばれます。現在、龍尾山一帯は江西省に属していますが、硯の名としては旧名の「歙州」が今も用いられています。
石は、長い年月をかけて固まった緻密な粘板岩の一種で、墨を下ろす細かな凹凸(鋒鋩=ほうぼう)が鋭く、墨がよく下りることで知られます。ご自宅の硯を「端渓だろう」と思っておられる方は多いのですが、青黒い石肌に独特の紋様がある場合、それは歙州硯であることが少なくありません。
A history of Longwei「天下の冠」― 南唐の李後主が愛した龍尾硯
歙州硯の採掘は、唐の開元年間(8世紀前半)に始まったとされます。龍尾山で石を見つけた葉氏という者が硯を作ったのが起こりと伝わりますが、当初はさほど世に知られていなかったようです。
その名を一躍高めたのが、五代十国の南唐です。書画を愛した南唐の最後の君主・李煜(りいく、李後主)は、澄心堂紙(ちょうしんどうし)・李廷珪(りていけい)の墨、そして龍尾硯の三つを「天下の冠」として尊んだと、宋代の硯の書に記されています。南唐の朝廷は歙州に硯務官(けんむかん)という硯づくりの役人を置き、龍尾の石を宮廷の用に供したと伝わります。紙・墨・硯の最高峰の一角に、歙州硯が名を連ねていたのです。
南唐の滅亡後、石の採掘は一時途絶えましたが、北宋の景祐年間(11世紀前半)、歙州の地方官が南唐時代の採石場を再び探り当て、渓流の流れを変えて採掘を再開したと伝えられます。以後、歙州硯は端渓硯と並んで世に行われ、宋代には美しい石が次々と掘り出されました。蘇軾(蘇東坡)が龍尾硯を詩に詠み、黄庭堅が龍尾山の石を詠み込んだ詩を残すなど、宋の文人たちはこぞってこの硯を愛しています。宋の硯譜のなかには「龍尾は端渓の上にある」とまで記すものもあり、本稿の題にある「端渓より上」との評は、ここに由来します。
ところが、南宋以降は良い石が尽きはじめ、元代には石坑が水の底に沈んだとも伝えられ、良質な歙石は次第に得がたいものとなりました。清代にも貢硯として宮廷に納められており、台北の国立故宮博物院には、清の雍正帝が生前に用いたと箱に記された歙硯が伝わっています。時代を経た歙州硯、とりわけ宋・明の古硯が珍重されるのは、こうした石の稀少さと、文人・宮廷に愛された歴史の重みゆえなのです。
She vs. Duan端渓硯との違い ― 見分けの手がかり
「端渓か、歙州か」は、ご相談で最も多いご質問のひとつです。どちらも中国を代表する名硯ですが、石の性格や見どころには違いがあります。おおよその目安を下の表にまとめました。
| 端渓硯 | 歙州硯(龍尾硯) | |
|---|---|---|
| 産地 | 広東省肇慶の端渓一帯 | 安徽省南部〜江西省婺源(龍尾山)一帯 |
| 石の色 | 紫がかった色合いのものが多い | 青黒・漆黒系のものが多い |
| 見どころ | 石眼(丸い斑紋)、魚脳凍・蕉葉白・青花など | 金星・金暈・眉子・羅紋・魚子など |
| 石の性格 | 肌がなめらかで潤いがあり、墨をやわらかく下ろす | 端渓よりやや硬いとされ、鋒鋩が鋭く、硬い墨もよく下ろす |
| 名坑の例 | 老坑(水巖)・麻子坑・坑仔巌 | 眉子坑・羅紋坑・金星坑・水舷坑 |
| 別名 | 端硯 | 歙硯・龍尾硯 |
※ いずれも一般的な傾向です。色味の近い石や例外も多く、表だけで判断することはできません。
もっとも、実際の判別はそう単純ではありません。紫がかった歙石もあれば、青みの強い端石もあり、さらに他産地の石や近年の作が「端渓」「歙州」の名で流通していることもございます。何の石かわからないままでも構いませんので、決めつけずに現状のままお見せください。端渓硯について詳しくは、中国の硯は売れるのか ― 端渓硯・歙州硯の価値と、買取の見極め方でもご紹介しています。
Patterns of the stone石紋で見る歙州硯 ― 金星・眉子・羅紋・魚子
歙州硯の最大の魅力は、石肌に現れる「石紋(石品)」です。端渓硯が石眼などで語られるように、歙州硯は石紋の種類と美しさによって呼び分けられ、評価されます。代表的なものをご紹介します。
金星(きんせい)・金暈(きんうん)
青黒い石肌に、金色の小さな粒が星のように散るのが金星、金色が雲のようにぼんやりと広がるのが金暈です。宋代の硯譜にも「歙石は金星をもって貴しとする」と記されたとされ、歙州硯を象徴する華やかな石紋です。ただし金星は近年の作にも多く見られるため、金星があるだけで価値が決まるわけではありません。
眉子(びし)
女性の眉のような、細長い黒い筋が現れる石紋です。筋の細いもの、長いもの、幾重にも並ぶものなど、姿によってさらに細かく呼び分けられます。紋がくっきりとして、地の石が瑩潤(えいじゅん=つややかで潤いのある)なものが上とされ、歴代の文人に深く愛されてきました。
羅紋(らもん)
薄絹(羅)の織り目のような、細やかな筋が一面に現れる石紋です。龍尾山がもとは「羅紋山」とも呼ばれたとおり、歙州硯の基本ともいえる石紋で、粗いもの・細かいものなど多くの種類があります。静かで品のよい景色が魅力です。
魚子(ぎょし)・刷糸(さっし)
魚の卵のような細かな黒点が均一に散るのが魚子、刷毛で掃いたような細い平行線が走るのが刷糸です。いずれも控えめながら、石質の良さを物語る景色として好まれます。
いずれの石紋も、「紋がはっきりと美しいこと」と「地の石が緻密で潤いのあること」の両方が揃ってこそ、上等の歙州硯と評価されます。
Famous pits名坑と「旧坑」― 同じ歙州硯でも石が違う
端渓硯に老坑・麻子坑などの名坑があるように、歙州硯にも石を採る坑(こう)がいくつもあり、どの坑の石かによって質は大きく異なります。龍尾山のふもとの硯山村には、眉子坑・羅紋坑・金星坑・水舷坑といった名坑があり、現地ではこれらを「旧坑」あるいは「四大名坑」と呼ぶとされます。
たとえば眉子坑は唐代に開かれ、宋代に最盛期を迎えたのち長く途絶え、20世紀後半に再び掘られたと伝わります。水舷坑は南唐の頃に開かれたとされる名坑ですが、渓流の川床よりも低く常に水に浸かっていたため採掘が極めて難しく、近年は道路工事によって埋められたとも伝えられます。こうした名坑の石は、それぞれに得意とする石紋があり、今では手に入りにくいものも少なくありません。
もっとも、坑の判別は石紋・石質・色合いなどから総合的に推し量るもので、硯そのものに坑名が書かれていることはまれです。「旧坑の石」とうたう品のなかにも、そうでないものが含まれます。坑の見極めこそ、専門の目が必要なところです。
Five factors価値を左右する、五つの要素
歙州硯を拝見する際、当店では次のような点を総合して評価いたします。ひとつの要素だけでなく、全体の格として捉えることが大切です。
- 石(坑・石紋)
- どの坑の石か。金星・眉子・羅紋など石紋の美しさと、地の石の緻密さ・潤い。
- 時代
- 宋・明にさかのぼる古硯か、清代の作か、近年の作か。時代のある古歙は特に稀少。
- 形(硯式)
- 硯の形の格。宋代に好まれた抄手硯などの古式。
- 銘・来歴
- 硯に刻まれた硯銘、文人・書家・旧家の旧蔵、清朝宮廷ゆかりなどの由緒。
- 付属・状態
- 古い硯箱(唐木・漆塗など)、書付・添え状の有無。欠け・ひび・研ぎ減りの程度。
当店では、宋・明の時代にさかのぼる古い歙州硯をとりわけ高く評価いたします。また、時代が新しくとも、名坑の良質な石で石紋・石質に優れたものは、石そのものの格としてしっかりと評価いたします。時代の古さと、石そのものの格――その両面から、一面ずつ拝見いたします。
墨・筆・印材などとあわせた一括のご整理は、書道具の買取のご案内もご覧ください。硯は他の書道具とまとめて拝見するほうが、全体として評価しやすくなります。
An honest line値がつきにくい歙州硯 ― 率直な線引き
歙州硯という名がついていれば、すべてが高く売れるわけではありません。20世紀後半に旧坑の採掘が再開されて以降、歙州硯は数多く作られ、書道の練習用や贈答品・土産物としても広く流通しました。こうした近年の量産品や、石紋・石質が平凡なものは、残念ながら値がつきにくいのが実情です。
また、「宋硯」「古歙」とうたわれながら、実際には後の時代に古く見せかけて作られた品も少なくありません。私どもは、拝見したうえで評価が難しい場合にも、その理由とあわせて率直にお伝えいたします。無理にお勧めすることはございません。
ひとつご注意いただきたいのは、ご自身での手入れです。こびりついた墨を落とそうと強くこすったり、砥石で研ぎ直したり、欠けを接着剤で補修したりなさると、石面や紋様、古色を損ね、かえって評価を下げてしまうことがございます。どうぞ、そのままの状態でお持ちください。
Where to sellなぜ、売る先で評価が変わるのか
同じ一面の歙州硯でも、その価値を国内の相場だけで判断する店と、中国本国の需要や国際的な市場を見据えて評価できる店とでは、ご提示できる金額に差が生じます。文房具(文房四宝)は、いま中国本国をはじめ海外のコレクターのあいだで改めて見直されており、日本に伝わった古い唐硯の良品は、いま最もふさわしい買い手が海外にいることも少なくありません。
日本では江戸から明治・大正にかけて、文人・書家・旧家が中国の名硯を競って求め、大切に伝えてきました。その来歴が箱書きや添え状とともに残っていれば、それもまた硯の価値の一部となります。古美術もりたは、中国美術を扱い、海外のコレクター・オークションハウスとの取引を重ねてきた立場から、作品が本来の価値で次の所蔵者へ渡るよう、橋渡しをいたします。歙州硯は書道具の買取のなかでも、坑や時代の見極めがとりわけ難しい品ですので、ご自身で結論を出される前に、まずは現状のままご相談ください。
歙州硯の売却・査定のご相談
古美術もりたは、中国美術を専門のひとつとし、歙州硯・端渓硯をはじめとする中国の名硯を、作品の価値に見合って評価いたします。端渓か歙州かわからない硯、墨がこびりついた硯、箱のない硯、まとまった数の硯でも構いません。まずは一面の状態から丁寧に拝見いたします。お見積り・ご相談は無料、秘密厳守で承ります。
FAQよくある質問
端渓硯か歙州硯か、自分では分からないのですが見てもらえますか?
金色の点(金星)が入っていれば、価値が高いのですか?
使い込んで墨がこびりついた硯でも売れますか?
欠けやひびがあっても査定できますか?
箱や書付(箱書き)が無くても大丈夫ですか?
歙州硯は、どこに売るのがよいですか?
歙州硯だけでなく、墨や筆もまとめて見てもらえますか?出張は可能ですか?
About / Operator運営者・鑑定者情報
中国美術の売却は、確かな知識と国際的な販路が要です。古美術もりたの概要と、取引に関わる許可・登録をご案内いたします。
小田急線「成城学園前駅」より徒歩8分(ご来店は完全予約制)
※ お見積り・ご相談はすべて無料、秘密厳守でお伺いいたします。許可・登録の詳細はご利用案内をご覧ください。
書道具の買取・出張査定エリア
硯・墨・筆・印材の買取は書道具の買取(全国対応)をご覧ください。下記の地域は出張査定でお伺いしております。
※ 歙州硯の石種・坑・時代・真贋・価値は、素材や状態によって異なります。本記事は一般的なご案内であり、個別の作品については拝見のうえでご提案いたします。
※ 採掘の始まり、南唐の硯務官、名坑の開採・閉鎖の時期などの沿革・年代には諸説あります。本文は主に、宋代の『歙硯説』・李之彦『硯譜』などの記述、国立故宮博物院(台北)所蔵「歙石硯」の解説などを参考にしています。